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コラム

第42回 AI時代の人間の生活
   

 AIと呼ばれる人工知能が随分と進化し、数年後には人間の脳と同じ位の効率で機能すると云われている。膨大なデーターを蓄積し、センシングしながら試行錯誤で学習し、目的に応じたロボット機能で行動すれば、もはやスーパーマンということになり、今の人間の仕事の多くは代行できる可能性が高い。
 産業革命やFA化によって、多くの作業が自動化されたが、AIはそのオペレーションを行うばかりか、データと観察のみで他にバイヤスのかからないロジカルな分析をするはずだから、研究や診断にも適していると思われる。

 人間は生きて行く為に必要な物を効率よく手に入れ、それを蓄え、その手段や権利を所有する事によって、その日暮らしではなく、未来も安泰に生きる環境を整えようとする。次に未来の権利を行使するために健康でいようとする。そして様々な文明を築き、AIを構築しようとしている。

 AIがどんどん進化し、人間と共存する究極の形は、あらゆる仕事をAIが行う事だ。仕事が奪われると恐れる人もいるが、全てがAIでまかなわれれば、人間は好きな事だけをして生きていけばいい事になる。
 つまり、太陽光エネルギーをAIが効率よく活用し、道楽三昧で我儘な全人類を養うという夢のような素敵な社会だ。こんなバラ色のシンギュラリティがある事も現実味を帯びてきているのではないだろうか。

 そうなった時、人間は何をするか。
何でも手に入り、何もしなくていい…。
目的を失った人類は破滅するかもしれない。その境目は子孫を残そうとするかどうかで、生命体は死の危機感とリンクして、遺伝子を残そうとする本能がある筈だ。

 現代でも先進国の多くで、子孫を残さない人間が増え、人口が減少している。これは、生活設計の中に、子育てが埋め込めないケースと、動物としてのプリミティブな性行為になじめないケースがあるようだ。

一昔前の日本では、成人すれば男女が世帯を持ち、子づくりをし、子育てをする事が当たり前と位置付けられ、そうでない人を異端者扱いする風潮があった。
 つまり、異性と性交渉し、結果として子孫を持ち、それを育てる事が義務であるかのようなご時世だった。今ではそうしない権利が一つ一つ認知され、多様な生き方、多様な性のあり方が社会的に許容され、或いは許容されるべきだとの考えが主流になっている。

 いずれにせよ、AIサーバントが生きるに必要な全てをサポートしてくれるなら、人は何をするのか。悲しみや苦しみとの対比で存在する喜びや楽しみではなく、絶対的喜びや絶対的楽しみを見出さなければ生きていけなくなりそうだ。

 

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